多国籍企業のひみつ 2

多国籍企業が全株所有の子会社を好むのは「企業秘密」が完全に保全されるからにほかなりません。


いわば多国籍企業は「企業秘密」を最高度に発展させ、全地球の上にその網の目をはりめぐらしているということができるのです。


多国籍企業の活動の仕組みは、IBMなどに典型的にみられるように、各国にある子会社は材料、部品から完成品にいたるまでのまとまった全生産工程を担当するのではなく・・・


製品の特定の機種の組立てや特定の部品の生産という部分工程だけを割り当てられ、その他の部品は他の子会社や本国から供給されるようになっています。


つまり第三社間での取引と異なって「企業内世界分業」にもとつく「企業内取引」として行なわれるので、その価格がどのように操作され、決定されているかは外部からはまったくうかがい知れないのです。


・・・こうした仕組みの下で、IBMは1968年に30パーセントであったその収益の海外依存度を、74年には売上高で46・9パーセント、純利益で50パーセントと高めているのです。


日本の企業で海外生産高の多いものをみると、松下電器、三洋電機、帝人、東レ、石川島播磨重工、吉田工業、日立製作所、日産自動車、日本電気、シャープ、がベストテン(78年、東洋経済調べ)のランキングに並んでいます。

多国籍企業のひみつ

多国籍企業の活動は、海外直接投資だけでなく、ユーロ・ダラーを典型とする国際的投機活動や多国籍銀行による国際的資金調達活動・・・


さらに多国籍商社の活動も、その重要な一環であり、本質的な側面であることにも注目しなくてはなりません。


いわばこれらは多国籍企業にとっての血管のようなものであるといってよいでしょう。


そのほか「技術移転」にからむ問題も大きな影響をもっています。


多国籍企業の発展は生産力の発展、生産の社会化に基礎づけられていますが・・・


他方、他民族からの搾取や収奪によって寄生性を強め、腐朽と停滞を生み出します。


多国籍企業はその全世界的規模での利益を極大化するため、子会社間の価格操作であるとか配当やロイヤリティの送金などありとあらゆる耐業的、金融的術策を常用手段として使っています。


それらはいずれも「企業秘密」となっているのです。

座るということ 3

胡、つまり西域・西欧的な坐るとはイスなどの上に尻をおき足の裏で体重を支えた状態から移ることです。


建築の分野では畳の上で脚を折り曲げてすわる生活を坐式と呼び、椅子などを使ってのことを立式と呼んでいます。


立式生活では立っているより、何かに腰を支えているほうが楽な姿勢だと私は思っていますが、年のせいだけではないでしょう。


"何もありませんがどうぞ召し上がって下さい"と謙遜の意味を含めてあいさつをされた西欧人が、"何もないのをどうやって食べられるのか"といぶかるそうです。


椅子のない部屋に西欧人を通して、"どうぞお坐り下さい"といったら、椅子がないのにどうして坐るのか、と思うにちがいないのです。


西欧式ないわゆる立式生活では腰や身体を支えたときの姿勢で眼の位置が低く、床面により近いほど床面より高い人よりも楽な姿勢のようですね。


航空機のファースト・ツーリストクラス、ちがいは食事と座席ではないでしょうか。


高いほうは身体を支持してくれる座席の占有面積がツーリストクラスより広く、リクライニングにしたとき眼の高さがより低く、寝る姿勢により近くなって楽であることの価値だ、と私は思っています。


椅子に坐った上役の前で立って応対しているヒラは相手より目の位置が高いからといって礼を失しているのではないのです。


坐っているほうが楽なのです。


しかしわたしはいらないイスを家具 買取に出してしまいました。


今は床に坐る生活です。

戯曲と舞台照明 2

最も普遍的でわかりやすい親子の情、夫婦の情、兄弟姉妹の情を贔屓の役者が演じるのを身につまされて観るのが芝居見物の楽しみでしょう。


・・・一方、西洋の芝居は近世以降戯曲に盛られたテーマを中心に創られています。


日本の芝居が人と人との葛藤をテーマにするのに対して、西洋の芝居は社会と個人の対立、葛藤を主題にしています。


いきおい盛り込まれたテーマの生き方や思想を、ドラマチックに観客に訴える方向に行っても不思議ではないでしょう。


西洋人は舞台で芝居を考えるようです。


舞台から客席に向かって右左というのはその主張の表われのひとつではないでしょうか。


この項の表題が「下手上手」となっています。


これは、かくれん棒のような照明がなかった頃から同じなのです。


戯曲と舞台照明

「戯曲」には言語によって表現された文学作品として必ずしも上演を目的としない、読者によって読まれるためのものも含まれています。


座長(一座の花形役者)がいかに格好よく見えるか・・・


・・・・という筋書きを座付きの狂言作者が作っていたのです。


私も、かくれん棒などの照明を扱う舞台の仕事をしていますから・・・


ときどき座長芝居(高橋英樹や杉良太郎など花形役者が一座を組む)が掛かる劇場から招待券をいただくことがあります。


まま仕事の都合で行けないときに知り合いの人に「杉良さんの芝居見にいく?」と聞くと「ああ招待券ちょうだい」とはいいますが・・・


何をやっているか聞かれたことはまずありません。


芝居の内容にはあまりこだわらないようです。


歌舞伎をはじめ日本の芝居はほとんどが人と人の情を主題にしています。

墓地と仏壇 2

石塔には多宝塔、五輪塔、宝簾印塔、卵塔などがあり、主に貴族、武士、僧侶のものです。


江戸時代に入ると一般庶民の墓もつくられ、その多くは方形無蓋の石塔。


天保2年(1831年)、幕府は百姓町人の墓石の高さを、台石ともに四尺(約1.3メートル)以下と命じています。


現在造営されている霊園・墓地には、伝統的な寺院に付属する宗教法人経営の境内墓地をはじめ、最近では各都道府県や市町村などの自治体が管理・運営する公営の霊園・墓地・・・


その他の公益法人や営利法人(株式会社立など)のものがあります。


創価学会 仏壇などをお持ちの方は、このような話に興味があるのではないでしょうか。


宗教法人立の境内墓地は、本来、芋院と檀信徒という結びつきでつくられたものですから、その芋院に檀信徒として入檀し、その属する宗派のしきたりゃ儀式にのっとり、管理、運営されています。


したがって、それ以外の人は原則として使川することができないという難点があります。


しかし、葬儀や法事などもその芋院で行なうことができ、いつでも僧侶に読経供養をしてもらえ・・・・


たとえ墓参ができなくても、永代伺堂料などを納めれば読経していただけ、安心しておまつりすることができます。


墓地と仏壇

日本では、昔は一定の土地に墓があったわけではなく、人が亡くなると適当なところに葬っていました。


しかしながら、これではいけないと、孝徳天皇は大化2年(646年)3月22日の詔によって、諸王諸臣の墳墓の制を定め、葬地を限定しました。


現在のように寺院の境内に墓をもうけたのは、神護景雲4年(770年)8月17日に称徳天皇を大和の西大寺の東北に葬ったのがはじめとされています。


平安時代以前の墓は土を高く盛った墳丘で、それ以後になると、卒塔婆を立てた墓となり、そのそばに墓堂が建てられました。


墓地に石塔を建てる習慣は、『諸事縁起集』多武峰の項に、藤原定慧が父鎌足のために石塔を建て、


「かの墓所にまいりて、遺骨を掘りとり、みずから首にかけて多武峰にのぼり、十三重塔の底に安ず」


・・・とあるように、平安時代以後に建てられたものです。


現存の古いものでは、大和の龍福寺境内にある層塔で、天平勝宝3年(751年)の刻銘があります。


家に創価学会 仏壇があるという方なら、このような話はきっとご存知でしょう。

私の速読法

指をいろいろな形に動かさせて内容を把握させたり、ストップウォッチを押すと・・・


すぐ隣の生徒同士とその内容に関し、話し合いをさせ、内容を相互確認させるのです。


私も一度、一日だけ聴講させていただき、実際のレッスンに加わったのですが、その熱気には驚きましたね。


最近は視力も衰え、体力的限界も感じ始めたのであまりやらないのですが・・・


30~40歳代に私が実践したforced reading(速読法)を紹介しましょう。


それは新幹線のリズムと共に『タイム』誌をカバー・ツー・カバー・リーディングするといった荒行です。


東京から大阪までの所用時間、3時間10分。


・・・その間、エキナセアなどのサプリメントとコーヒーを飲む時間が15分。


とすると、正味3時間ですね。

座るということ 2

その家は大正中期の80坪ほどの建築で畳敷の部屋と板廊下で、門構えが立派で、客用玄関と家族の勝手口がありました。


便所は家族用と使用人用で、台所は土間で下駄をはきます。


上水道はありましたが、マキからガスになったのは中学に入るころです。


家族たちの室内での生活はすべて畳面に坐る形式で、私だけが勉強用に腰かけと机を与えられました。


しかし、脚を折り曲げて机に向かって仕事をしている家人より、椅子に腰かけている私のほうの身分がどうのこうのとは考えてもみなかったのです。


夏休みになって泊りがけで遊びにゆく親戚の家には玄関脇に応接室があり、その家の主人たちの寝室はベッドで、食事は椅子に腰をかけてしていました。


いまからわずか数年前のことです。


日本にイス式が入ってきたのは5~6世紀ごろと思われますが、常にシナ文化の強い影響をうけていた日本でイス式に転じるのが世間一般の傾向であったのに、イス式が日本の住生活に定着しなかったのです。


・・・その理由は、6世紀ごろの貴族住居はユカのある家で、地面の湿気をさけることも、権威を示すことも、高ユカの家で目的を十分に満たしていたからだとある博士は指摘しておられます。


胡床と書いてアグラと読むことがいまではソファー 通販で購入したイスに腰かけることを意味しないのです。

座るということ

今のあぐらはユカに尻をおろすから腰かける形ではなく坐です。


いずれにしても椅子に腰かけたり、高い座にある者は身分がより高い人だったと指摘する説は多いのです。


高座はこうざで、寄席などで演芸を行なうために作った一段高い席のことで上座ではないのです。


上座はかみざで上位の席で、対するのは下座で、しもざ、げざでいちばん下を末席と呼びます。


そういう席の考え方は椅子を使わず、坐るとは脚を折り曲げてユカ面に坐ることで、さらに身分の低い者は土間に坐ることでした。


育った家には6畳ほどの広さの土間で、式台のある玄関がありましたが、来客を迎えるときは客は土間に立ちこちらは畳に脚を折り曲げて坐りました。


祖父がかわいがった九官鳥を飼っていて籠が玄関にありましたが、人がくると"たのもう"と声を出していたころです。


座敷対座敷であればどうでしょうか。


訪ねた先の主人が坐って出迎えてたとき、こちらは坐ってあいさつをします。


立ったままでは相手を見おろすことになり失礼にあたります。


日本の起居動作、立居振舞の原則に応じた住宅の造りがあったのがはじまりだと思います。


賃貸 仙台のアパートなどはこうした昔ながらの住宅の造りではないでしょうが・・・。