墓地と仏壇
日本では、昔は一定の土地に墓があったわけではなく、人が亡くなると適当なところに葬っていました。
しかしながら、これではいけないと、孝徳天皇は大化2年(646年)3月22日の詔によって、諸王諸臣の墳墓の制を定め、葬地を限定しました。
現在のように寺院の境内に墓をもうけたのは、神護景雲4年(770年)8月17日に称徳天皇を大和の西大寺の東北に葬ったのがはじめとされています。
平安時代以前の墓は土を高く盛った墳丘で、それ以後になると、卒塔婆を立てた墓となり、そのそばに墓堂が建てられました。
墓地に石塔を建てる習慣は、『諸事縁起集』多武峰の項に、藤原定慧が父鎌足のために石塔を建て、
「かの墓所にまいりて、遺骨を掘りとり、みずから首にかけて多武峰にのぼり、十三重塔の底に安ず」
・・・とあるように、平安時代以後に建てられたものです。
現存の古いものでは、大和の龍福寺境内にある層塔で、天平勝宝3年(751年)の刻銘があります。
家に創価学会 仏壇があるという方なら、このような話はきっとご存知でしょう。